冴えない45歳おっさんの頭の中

思考のリハビリみたいなもんです。今思う事をいろいろ吐き出します。

楽しい飲み会の条件って

帰郷してから12年。

その間、ずっと開催している飲み会がある。

 

中学の同級生の集まりで、開催は不定期。

その開催は、すべて俺の一存で決まる。

 

俺の気が乗らなければ半年近く開催しない事もあるし、

はたまた2か月連続でなんて事もある。

毎回、少なくとも5人は来てくれるし、多ければ10人超す事も。

 

自分では何てことないと思っているけど、この事を話すと

みんな羨ましがったり、褒めてくれたりする。

 

そもそも俺自身、酒が弱いのもあり飲み会が好きなわけではない。

でも、この飲み会だけは自分が幹事をしてでも開催したいって思うのだ。

なぜかって、そりゃ【楽しい】からだ。

それ以外に理由はないし、他の動機なんかいらない。

 

メンバーは、会社経営者、歯科医、飲食店店主、カメラマン、港湾クレーン運転士など様々。この12年で、雇われ歯科医から開業し、予約が取れない歯医者になったのもいるし、独立して30人を雇う会社の社長になった奴もいる。本当にみんなすごくていい奴

ばかりだ。

 

その点、自分の現状を見てみると大きく後れを取り恥ずかしくなってくるけど、

それでも、この会のリーダーは俺なのだ。

 

なんで、この会が楽しいか考える。

 

皆、違う仕事をしているので皆に共通する具体的な話題は、

中学時代の思い出くらいしかない。

それが会社の飲み会になると、具体的な共通の話題として取引先や

上司、社長への不満が必ずあがる、そして愚痴の言い合いに発展していく。

この飲み会については、この愚痴への発展がないのでとても気分がいい。

 

そして、近況報告やバカ話をしていく中で、俺はこう思う、とか 俺はこうしたい

といった、仕事観、人生観、死生観、といった抽象度の高い話をくだけた言葉で

気楽に話し合えるのがとても楽しいのだと思う。

 

具体的な共通の話題が、好きな事や趣味だったらとことん

話し合えて楽しい時間になると思うけど、共通の話題が

不満や苦痛である場合は絶対に楽しい飲み会にはならないので

参加しないに限るね。

 

 

認める、ということ

人から認められたい。

 

誰もが抱く願望だとおもう。

承認欲求とも言うのだろうか。

 

生きていく上で、いや幸福に過ごすうえで

人から認められるというのは極めて重要な事

 

友人関係であれば、比較的簡単に人を認める事は出来る。

その人のいい部分だけど評価すればいいだけの事。

まあ、そもそも認め合っているからこそ友人関係が成立するわけで。

人の卑下したり、否定してくるようなのはすぐに縁を切っておしまいだ。

 

そして、難しいのは仕事の上司・部下。そして、親子関係。

 

仕事上でその人を認めるには、認める側の人間に

一定の責任が伴ってくる。

部下側の努力というモノは当然必要ではあるが、その努力を

引き出すのに認めるという行為は、非常に大切になってくる。

 

部下側の努力によって、何か一つできる事が増えた。

上司側からしたら、些細な事かもしれないけど部下側からしたら

その事を認めてもらう事によって、どれだけモチベーションが

あがるか。

本当に、一言でいい。

 

「いいねぇ、その調子だよ」

 

それでいい。

 

でも、この世の中、厳しく接してこそ伸びるって価値観の方がまだまだ強い。

 

で、その厳しくという言葉をはき違えてる人間が多すぎる。

自分の感情をコントロールできずに、部下を怒鳴る事、なじる事を是とする為に

取ってつけたように厳しくって言葉を使う。

そもそも、この手の人間はわかりやすく論理的に物事を教える事が出来ない。

だから、そんな風に接するしか出来ない自分の能力のなさを取り繕う。

 

そして、だいたい自分がこうだったから、とか

そんなの常識だ、とか完全自分本位かつ中身のない理由を押しなべて

屈服させようとしてくる。

 

この手の人間、上司になってしまったら適当にあしらうか、

会社を辞めてしまえば済む事だけど、父親がこれだったらどうか?

 

今の自分が、まさにこんな感じ。

 

仕事上接しているうえでは、最悪の上司であり同僚。

仕事のやる気や充実感を削いでくれるには、十分だ。

それでも、親子。

 

いつの日かわかって理解してくれる日が来ると頑張っていても、

それが当然だ、との思いしかないから、その努力やこちらの気持ちが

解らない。

 

「なんで理解してくれないんだろう?」

 

初めはそう思っていたけど、そうじゃなかった。

 

【そもそも理解できる思考力がない】

 

これだった。

 

こんな父親の為にすごく思い悩み、いろんな葛藤を

越えてきたけどそれが全て無駄だったのだ。

 

この父親に対して、どんな感情を抱いているのか

自分でもわからない。

この父親が、この先介護が必要になったようなとき

まともに世話できるだろうか?

 

正直、自信がない。

 

こんな事で自分の思考を取られたくない。

でも、やっぱり考えては苛立ち、怒りが込み上げてくる。

 

そんな事より、俺の未来を自分で切り開く為

こんな父親はひとまず置いといて、自分の思う道へ進もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題「思い切ってやめてみた事」

 

仕事で入ってた組合。

 

横のつながりができるとか健康保険が安くなったり、と

メリットはあるんだけど。

 

それ以上に、自営業者の集まりであるにも関わらず

同調圧力や価値観の押し付けみたいなのが蔓延しててそれが本当に

ウザかったので辞めました。

 

本来、組合っていうのはみんなで集まってメリットある事だけ

共有しましょうね、って事だと思うんだけど。

 

組合の中に、わざわざ青年部だ、なんとか部だって作っては

役員決めて。総会と称して飲み会開いて。月一回集まって

どうでもいい活動報告を聞く。

 

本当に、めんどくさかった。

 

その点、今年はこの組合の忘年会がない。

それを思うだけで、やめてよかったな、って思う。

 

 

 

 

 

可能な限り遠くまで

お題「初めて一人旅をします。一人旅でよかった場所、一人旅初心者におすすめの旅行先を教えてください。」

 

一人旅って、最高に贅沢な時間だと思います。

計画して、いろんな想像をしている今の時間から楽しんでください。

 

一人旅のおススメ。

場所はどこでもいいです。どこに行っても、素晴らしい思い出になるので。

 

私的に行く場所を決める方法は、

 

【日数と予算内で可能な限り遠くへ行く事】

 

お住まいがどちらは存じ上げませんが、調べてみると意外と想像以上に

遠くまで行けるものです。

 

電車でも、車でも、飛行機でも、移動手段は何でもいいです。

 

1泊2日で予算が3万円だとして、車ならここ、電車だとここ、飛行機ならここって

どれだけ遠くまで行けるかを調べていく過程で、いろんな発見もあります。

 

後は自分の興味と感心に従って、旅程を決めてください。

日本は何処に行っても、美味しい名物があり、素晴らしい名所があります。

後悔する事はまずありません。

 

有名な観光地を満喫するのもいいですし、

人のいない神社なんかでのんびりするのもいいですし

ご自身の思いのまま、好きなように旅されてください。

 

 

 

 

 

 

三線の音色に

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

 

それは、沖縄三線

 

沖縄出身の妻と結婚して早12年。

ずっと興味はあったけど、実際に購入するには至らず。

もらえたら良いなあなんて思っていたら、とうとう昨年末に妻の従妹から

お古を頂けることになった。

 

実際に沖縄に行ったり、歴史を調べたり、普通に旅行してみたりするうちに

沖縄が大好きになり三線の音色で心が安らぐ感覚を覚えるようになって

いただけに、やっとこの時が来た!と思いとても嬉しかった。

 

そして、実際に弾いてみると、まあ面白い。

 

これまで、音楽とは無縁の人生を送ってきたけど、楽器に触ってるとこんなに気持ちが豊かになるのかと,少し感動すら覚えた。

 

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こんなふうに、楽譜は漢字なので最初は面食らうけど意外と早く覚えれるし、弦も3本しかないからか簡単に弾ける。

 

いつかは沖縄移住したいとの思いもあるので、それまでには、唐船ドーイという沖縄で祝い事の最後に踊るカチャーシーの定番曲を弾けるようになりたいな。

仕事を好きになれない一番の理由って

「お仕事は何をされてるんですか?」

 

新しいコミュニティに初めて参加した時や、町内会の集まりなんかでは必ずと言っていいほど聞かれる質問。

 

そんな時自分の場合、

 

「まあ、一応、建築関係の家業を自営でやってます」

 

と答えてしまう。

 

【一応】って何だよ。

って自分でも思うけど、これが実際の感覚。

 

現在45歳、今の仕事は33歳の時に東京から帰郷してきたタイミングで始めているので

もう12年になる。前職は、メーカーやIT企業で営業職。現場仕事とは全く無縁の仕事をしていた。

 

20代の頃は、せっかく大学も出たんだし、この東京で俗に言うホワイトカラーでずっと生きていくもんだという意識が非常に強く、帰郷する事もましてや現場仕事をする事なんて、微塵も考えていなかった。

 

でも、30を過ぎてその心境にも変化が起こる。

 

代り映えしない日々。思い通りに行かない仕事、そしてめんどくさい社内の人間関係。

毎日、他人の体温と吐息を感じる満員電車に乗り、いつもの職場に向かう。

 

そんな不満を挙げたらキリがないけど、それを解決する術も持たず、

ただ悶々とした気持ちで過ごしていた時に起きたのが、

あの2011年3月11日の大震災だった。

 

後になって考えると、これがきっかけで本当にたくさんの事を思ったけど、

当時の自分が一番強く思ったのは

 

「東京から離れよう」って事。

 

あの時に東京に漂っていた妙な雰囲気はもう経験したくないな、と思うし。

被災地での惨状を伝えるニュースの中で、一瞬で家族を失ってしまった人の

話しを見た時に、

 

「俺、ここにいて幸せか?」

 

との気持ちがどんどん強くなっていった。

 

じゃあ、どうするか?

一番、安直で手っ取り早いのが帰郷する事だった。

 

当時、一緒に住んでいた現在の妻も、帰郷には賛成してくれた事もあり

帰郷の話はとんとん拍子に進んでいった。

 

そして当然、仕事はどうする?になるのだが、

これも安直で一番手っ取り早い、【家業を継ぐ】という選択肢が

真っ先に思い浮かんだのだった。

 

その時は、具体的な仕事内容なんてまったく知らなかったし、関心もなかったけど

 

「こんな給料も仕事も先が見えてしまっている会社にいるよりは面白そうだし、稼げるんじゃないか?」

奨学金なしで大学に行かせてくれるだけの売上があるんなら、何とかなるんじゃないか?」

「年老いていく父親や祖父母の近くにいた方が、後悔しないんじゃないか?」

「そもそも家業を継ぐという行為が、親孝行になる!」

 

と自分なりにいろんな理由を見出したうえで、父親へ相談を持ち掛けてみた。

父親も、切り出された時は戸惑っていたけど、少し考えたうえで

 

「じゃあ、やってみるか。俺もできたんだから、お前もできるだろう」

 

そんな返事をもらい、めでたく家業を継ぐことになったわけだ。

前置きが長くなってしまったけど、これが今の仕事を始めた経緯。

 

あれから12年・・・。

 

この仕事、そして父親の存在が今の俺の悩みの種になっている。

 

12年もやっているのに、未だに【一応】なんて言ってしまう現状に

虚しくなるけど、その要因として一番大きいのは

 

・自立できている実感がない

 

という事。

 

12年もやってれば、一通りの仕事は覚えるしあった方がいいとされる

資格も持ってるし、それなりにネットワークもあるけれど未だに自立している

感覚がない。それはなぜか?と考えた時にやっぱり一番大きいのは

 

「父親に認められない事」

 

これに尽きる。

 

いい歳して何を甘えた事を言ってんだ、って思う人もいるだろうけど

これを上司って置き換えれば、どんな仕事にだって通じる話しになってくる。

 

世の中には、他人を卑下して自分の価値を保とうとする人間が一定数存在する。

そんなのが上司になると、本当にたまらない。

 

サラリーマン時代はその手の人間を見ると徹底的に軽蔑し

「ああにだけはなりたくない」と思いから、努めて無駄に先輩風を吹かせたり、

感情的な対応はやめようと固く決めていた。

 

でも、自分の父親がその手の人間だったのだ

 

本人はそのようには思っていない所と、実の父親であるところが

悩みをより複雑にしてくれている。

 

実際の仕事のクオリティや効率よりも、自分の見栄を優先するために

こちらの提言は全く聞かない。そして、明らかに自分に非がある時は

感情的に話しを遮断する、もしくは誤魔化す。

 

実際の仕事ができる、できないよりも人間としてのこの部分が

本当にイヤで情けなくなる。

 

人を認めるって、責任が伴わない他人に対してはすぐにできるかもしれないけど

実の親子だったり、上司と部下の関係だと難しいのかもしれない。

でも、それができるかできないかが、人間の器というモノだと思う。

 

「お前、すごいな」とか「俺の事なんか、すぐに超えていけ」

って言える父親って、本当にカッコいいと思う。

少なくとも、自分はこうありたいと思うので自分の娘にたいしては

そうやって接していこうと思う。