冴えない45歳おっさんの頭の中

思考のリハビリみたいなもんです。今思う事をいろいろ吐き出します。

仕事を好きになれない一番の理由って

「お仕事は何をされてるんですか?」

 

新しいコミュニティに初めて参加した時や、町内会の集まりなんかでは必ずと言っていいほど聞かれる質問。

 

そんな時自分の場合、

 

「まあ、一応、建築関係の家業を自営でやってます」

 

と答えてしまう。

 

【一応】って何だよ。

って自分でも思うけど、これが実際の感覚。

 

現在45歳、今の仕事は33歳の時に東京から帰郷してきたタイミングで始めているので

もう12年になる。前職は、メーカーやIT企業で営業職。現場仕事とは全く無縁の仕事をしていた。

 

20代の頃は、せっかく大学も出たんだし、この東京で俗に言うホワイトカラーでずっと生きていくもんだという意識が非常に強く、帰郷する事もましてや現場仕事をする事なんて、微塵も考えていなかった。

 

でも、30を過ぎてその心境にも変化が起こる。

 

代り映えしない日々。思い通りに行かない仕事、そしてめんどくさい社内の人間関係。

毎日、他人の体温と吐息を感じる満員電車に乗り、いつもの職場に向かう。

 

そんな不満を挙げたらキリがないけど、それを解決する術も持たず、

ただ悶々とした気持ちで過ごしていた時に起きたのが、

あの2011年3月11日の大震災だった。

 

後になって考えると、これがきっかけで本当にたくさんの事を思ったけど、

当時の自分が一番強く思ったのは

 

「東京から離れよう」って事。

 

あの時に東京に漂っていた妙な雰囲気はもう経験したくないな、と思うし。

被災地での惨状を伝えるニュースの中で、一瞬で家族を失ってしまった人の

話しを見た時に、

 

「俺、ここにいて幸せか?」

 

との気持ちがどんどん強くなっていった。

 

じゃあ、どうするか?

一番、安直で手っ取り早いのが帰郷する事だった。

 

当時、一緒に住んでいた現在の妻も、帰郷には賛成してくれた事もあり

帰郷の話はとんとん拍子に進んでいった。

 

そして当然、仕事はどうする?になるのだが、

これも安直で一番手っ取り早い、【家業を継ぐ】という選択肢が

真っ先に思い浮かんだのだった。

 

その時は、具体的な仕事内容なんてまったく知らなかったし、関心もなかったけど

 

「こんな給料も仕事も先が見えてしまっている会社にいるよりは面白そうだし、稼げるんじゃないか?」

奨学金なしで大学に行かせてくれるだけの売上があるんなら、何とかなるんじゃないか?」

「年老いていく父親や祖父母の近くにいた方が、後悔しないんじゃないか?」

「そもそも家業を継ぐという行為が、親孝行になる!」

 

と自分なりにいろんな理由を見出したうえで、父親へ相談を持ち掛けてみた。

父親も、切り出された時は戸惑っていたけど、少し考えたうえで

 

「じゃあ、やってみるか。俺もできたんだから、お前もできるだろう」

 

そんな返事をもらい、めでたく家業を継ぐことになったわけだ。

前置きが長くなってしまったけど、これが今の仕事を始めた経緯。

 

あれから12年・・・。

 

この仕事、そして父親の存在が今の俺の悩みの種になっている。

 

12年もやっているのに、未だに【一応】なんて言ってしまう現状に

虚しくなるけど、その要因として一番大きいのは

 

・自立できている実感がない

 

という事。

 

12年もやってれば、一通りの仕事は覚えるしあった方がいいとされる

資格も持ってるし、それなりにネットワークもあるけれど未だに自立している

感覚がない。それはなぜか?と考えた時にやっぱり一番大きいのは

 

「父親に認められない事」

 

これに尽きる。

 

いい歳して何を甘えた事を言ってんだ、って思う人もいるだろうけど

これを上司って置き換えれば、どんな仕事にだって通じる話しになってくる。

 

世の中には、他人を卑下して自分の価値を保とうとする人間が一定数存在する。

そんなのが上司になると、本当にたまらない。

 

サラリーマン時代はその手の人間を見ると徹底的に軽蔑し

「ああにだけはなりたくない」と思いから、努めて無駄に先輩風を吹かせたり、

感情的な対応はやめようと固く決めていた。

 

でも、自分の父親がその手の人間だったのだ

 

本人はそのようには思っていない所と、実の父親であるところが

悩みをより複雑にしてくれている。

 

実際の仕事のクオリティや効率よりも、自分の見栄を優先するために

こちらの提言は全く聞かない。そして、明らかに自分に非がある時は

感情的に話しを遮断する、もしくは誤魔化す。

 

実際の仕事ができる、できないよりも人間としてのこの部分が

本当にイヤで情けなくなる。

 

人を認めるって、責任が伴わない他人に対してはすぐにできるかもしれないけど

実の親子だったり、上司と部下の関係だと難しいのかもしれない。

でも、それができるかできないかが、人間の器というモノだと思う。

 

「お前、すごいな」とか「俺の事なんか、すぐに超えていけ」

って言える父親って、本当にカッコいいと思う。

少なくとも、自分はこうありたいと思うので自分の娘にたいしては

そうやって接していこうと思う。