冴えない45歳おっさんの頭の中

思考のリハビリみたいなもんです。今思う事をいろいろ吐き出します。

幸せの時間

ふと、自分の人生の優先順位を考えてみた。

 

1位は家族。親ではない家族。つまり、妻と娘。

2位は友人。自分が何屋になっても、ずっといられる友人たち。

3位は、親と兄弟。そして姪や甥、従妹、叔母あたりの家族。自分の場合、仕事と父親が直結してしまってる故に面倒な事も多いけど、とりあえずここ。

そして、4位が仕事かな。

 

死ぬときに後悔する事、みたいな本も好きでよく読むけど。

だいたい、もっと家族との時間を大切にすべきだったとか、自分に素直になるべきだったとかそんな思いを抱きながら亡くなる人が多いらしい。

 

仕事が好きでたまらないとか、充実感にあふれていたら今の感情がどうなるかはわからないけど、やっぱり仕事を最優先にすると、死ぬときに後悔するのは確かだろう、と思う。とはいえ、仕事の充実度が人生の充実度に直結するのも間違いないわけでえ、そのバランスをどう捉えて、どう行動するかはその人の価値観によるんだろうね。

 

自分の場合、家族が最優先なので、今日も午後の仕事を切り上げて帰宅。急遽、学級閉鎖となり下校する事になった娘を待っていた。仕事に充実感も収入も多くないけど時間は他の人よりも充実してる。娘と一緒にいる時間も、他の友人たちよりも圧倒的に多いと思う。それはそれでえ、この時期にこの仕事に就いていた意義がある。

 

あっという間に7歳になり、あっというまに大人になってしまうであろう娘との時間。

 

かけがえのない時間を、味わいつくそうと思う。

一生懸命、知育菓子を作ってる娘を眺めながら幸せを感じれるこの時間、大好きだ。

 

 

選択の結果は

18歳に戻れたら?

ふと思った。

 

もっと細かくすると、大学の入学式に戻れたら?

行った大学は決して有名でもなければ、偏差値も特別高いわけでは

ないけれど、総じて楽しい思い出しか残っていないのでそれ以前に

戻りたいとは思わないかな。

 

で、18歳の自分に言っておきたいのはこの1点につきる

 

【もっと自分の世界が広がるような行動をしろ】

 

時間が有り余っていた学生時代。

振り返れば、経験値を上げる行動を悉くしてこなかった。

バイトしかり、恋愛しかり、旅行しかり。

 

先天的なのか後天的なのかわからないけど

目の前の事だけに気を取られて、俯瞰する視点が絶望的に欠けていた。

 

バイトは楽なもの。授業も単位が取れそうなもの。恋愛も奥手で本当に

好きな子にはアタックできていなかったな。

有り余る時間をただ漠然と過ごしてしまった事に、本当に後悔している。

 

あの時、こうしていればどうなっていたかな?

もっと違う思考で物事を捉えられたら、違う世界が広がっていたかもしれない。

たられば言っても仕方ないけど、ふと思う事がある。

 

現状は、自分の選択の結果だ。

ターニングポイントは無数にある。

こうしておけば、こうはなってない。でも反面

この選択をして正解だった。

そう思うようなこともたくさんある。

でも、もっと夢中になれるものってなにかな?と探す意識を

もっと高く持っていれば違う仕事に就き、充実感を持って働いていたかもしれない。

 

でも、先日こんなニュースを見た時に思った。

 

世界一のバリスタを夢見ていたが事故に遭って亡くなった息子の遺志を継いで、夫婦でカフェを開いたと。

このご両親、大きな悲しみの背負いながらも息子の事を思って前向きに

行動する姿勢には感服するしかない。本当に尊敬する。

反面、この亡くなってしまった息子さん。

やりたい事が見つかり、夢に向かって一生懸命頑張っている最中、事故に遭って

30そこそこで亡くなってしまう。これは悲劇でしかない。

その事故に遭った場所は、バリスタになる為に働いていた珈琲会社の倉庫だとの事。

 

もし、夢が見つからず何か悶々としながらも違う場所で働いていたら、彼はきっと事故に遭わずに生きている。夢が見つかった結果、このような悲劇を招いてしまったと見る事もできてしまうのだ。

 

結局、人生に正解なんてない。

 

今の自分はどうだろうか?

仕事についてはまったく充実感を得られていないけど

愛する妻と最愛の娘に恵まれた。この2人なしの人生は考えられない。

そう考えると、自分の人生の選択は間違っていないのかな、とさえ思う。

 

ひどく回り道をしたように感じるけど、これが最善と思って生きていくのが

幸せかな。

 

 

転機の訪れ

仕事で悩んでいる。

 

今の自分もそうだけど、まともに働いていたら

誰でも大なり小なり同じだと思う。

 

会社員時代と自営業の今とでは、仕事の悩みも階層が違ってくる。

前者の頃は、社内の人間関係の悩みが5割。社外な嫌な取引先の悩みが2割。

そして将来への不安が3割って感じだった。

 

そして自営となった今では、取引先との関係の悩みはほぼなく

一緒に働く父親への悩みが3割。あとは将来への不安が占めている。

 

家業という特性上、仕事と家族が近い位置にいる事もあり

これが事態を複雑化してるとも、楽観視できるとも言える。

一緒に仕事をしていなければ、どれだけ気楽だったかと思う事が

ある反面、いらん社内政治に巻き込まれずに済んでいたという部分もあって

一概に答えを出すのは難しい。

 

でも、今の時点でハッキリ言えるのは現業の行き詰まりは必至である事。

何より、自分自身に現業に対する熱量が大きくかけている。

消えている火を再び灯す努力をするのか、はたまた全く違う火を灯すのか。

 

自分が下した決断は、違う火を灯す事だ。

もともと家業に必要な気質は持ち合わせているとは思えない。

でも、それを補ったのは自分の特性である器用貧乏の側面で

なんとかなってしまったから。

自分がもっと不器用で、どうにもならなかったらもっと早く違う決断が

できたのに、って思う事もある。

 

でも、自分が運がいいと心の底から思っているのでこれは転機であると

信じて疑わない。

いまいち行動に移せなかったけど、本当に少しづつだけど前に進めるようになって

来た実感がある。

厳しい時期だけど、ものすごい幸福を感じられる出来事もあった。

 

ドラマは波があるから面白いのであって、今はちょうど波の底の部分にいるのかな。

悲観してる奴より、何とかなるさと前向きに行動する奴の上に運は味方してくれる

はず。

 

なので、毎日上機嫌で目の前の事は真剣に。

そして、乗り越えた先に希望が見える試練であれば喜んで受け入れる。

45にもなって、ようやく気付いた。

 

さあ、宿題もらったぞ。楽しみだな。

 

 

旅行前夜

旅行が好きだ。大好きだ。

 

知らない土地に行く事、知ってるけど再び訪れたい土地に行く事。

どっちも大好きだ。

旅行は計画を立てた時点で始まるものだと思う。

どこ行こうか、何食べようか、どんなところに泊まろうか。

 

個人的に、その土地の名物を食べる事、名所を訪れる事の

優先順位が高いので泊まるのはビジネスホテルで十分だ。

旅行と言えば、もっぱら家族旅行なわけで。とりわけ子供をどこに連れて行って

あげようかと考えるだけでも、ワクワクする。

 

どんな旅行をするかって、その人の価値観がもろに出るものだと思うので

いろいろ興味深い。仕事関係の旅行にも何度か行った事があるが、朝からビールを

渡されるような旅行は好きではない。

移動さえも楽しめる性質なので、ゆっくり車窓を眺めさせてくれって思う。

どうも、ただ場所を変えて飲みに行ってるだけの行為を旅行と言ってる

人が周りには多い印象だ。

 

そんな中、気の置けない中学時代の友人との旅行を明日に控えている。

飛行機に乗って、友人だけで旅行に行くのは初めてだ。

計6人というなかなかの人数で行くので、いろいろとあるかもしれないし

計画通りに行く事もないと思うけど、そんなのも楽しめるやつらだから

今から楽しみで仕方がない。

 

知り合いの中には、平日に何遊んでんだ、というのもいそうだけど、

人生のうちのたった2日。

この2日間は、死ぬまで覚えてる思い出になるのは間違いないんだよな。

 

自分が軽いノリで放った言葉がきっかけで実現したこの旅行。

幹事として、みんなには心から感謝してるし楽しんで欲しいと思う。

きっと死ぬまで付き合っていく奴らだ。

こんな思い出を、あと1つ2つと増やし続けていくんだ。

無機質な社会に暇人が溢れたら

未来予測みたいな本が好きでよく読んでしまう。

それを基に、自分なりにいろいろ考えてみるのも割と好きだ。

 

最近は、AIが人の仕事を奪うってのがおおきなキーワードの

ようになっているけど、確かにそれはそうだと思う。

 

特に、士業。

とりわけ税理士さんなんか、厳しいように思う。

個人事業主の端くれなので、確定申告というものをするのだが

いまはfreeeで全て済んでしまう。

現状でもそんな感じなのに、今後もっとAIが発達すれば入力ももっと簡単になり、

あっという間に申告書を仕上げてくれるようになる。

依頼主の事を思って、いろいろと知恵を絞りながら節税方法を提案してくれる

優しい税理士さんはいてくれると嬉しいし、そこが他との差別化になるように思うけど、そのうち手心を加えないようにAIを導入したソフトによる申告が義務になる日も来るんではないだろうか。

 

何でもかんでも便利になり過ぎた今の世の中は、なんか無機質な印象を受ける。

そして、仮に予測通りにAIが人の仕事を奪った未来がくると暇人が溢れる事になる。

 

無機質な社会に暇人が溢れる。

 

そんなになったら何を求めるって、やっぱり人とのつながりだと思う。

何かと面倒な事も多いけど、それは形骸化した慣習であったり

既得権益ぶってエラそうにするやつらと付き合うのがイヤなだけであって。

 

本当に自分が好きと思える事で結びついた仲間や何でも話せる友人は

誰もが求めると思うし、そんな時代になればなおさら必要だと思う。

 

現状を維持しようとする努力は、かなり厳しい。

何よりそれは苦行となる。

抗えない時代の流れに逆らうのは、虚しい。

なので変化を恐れてはいけないし、むしろ積極的に変化はしていくべきだと思う。

 

でも、自分の中で普遍的な価値観はしっかり守らなくてはいけない。

誰かと比べて、勝ち組だ負け組だという世界で生きていてはいつまで経っても

幸福にはなれないだろう。

 

人として自分の事を思ってくれる仲間を増やし続ける努力はしようと思う。

なにも幅広い人脈が欲しいわけではない。

半径5メートルなんで比喩があるけどそれで十分だ。

 

でも、その時の興味や関心に基づいていろいろ行動を起こして、自分の世界は広げたい。そして、そこで縁があった人は大切にしていきたい。

結果的に、感覚値としては半径5メートルだけど、実際はもっともっと広い範囲で素晴らしい仲間がいる、そんな状態になっているのが理想だ。

 

人は人と結びつきあってこそ幸せになれる。

無機質になりつつあるからこそ、人のご縁は大切に。

世界を広げる意識は大切に。

 

 

 

 

結婚式の2次会って何?

先日、友人と会話をしていたら結婚式の話になった。

 

記憶をたどってみると45年生きてきて、

これまで友人・親戚あわせて10回ほど結婚式に参列し。

そして2次会だけってのが3回あった。

しかし、どの結婚式も断片的な記憶はあるものの、どれもさほど印象に残っておらず、

結婚式に参加したという事実として記憶されているに過ぎないみたい。

でも、挙式に呼ばれたという事はその当時、新郎なり新婦にとって割と優先順位の高い人物であったという事であるので、すこし嬉しい気持ちがある。

 

で、結婚式の思い出って事で真っ先に思い浮かんでしまうのが

2次会だけ呼ばれた、当時の職場の事務員さんの結婚式。

 

当時、28歳。確かその事務員さんが1つ上だった気がする。

その人自体は、結婚式を非常に楽しみにいている様子だった。

部署の全員に二次会のオファーをしてきたので、自分一人だけ

断るわけにもいかずに出席する事になった。

 

会費は10000円だったかな、場所は六本木あたりのクラブ。

会場に入るとユーロビートがガンガンかかり、個人的に一番苦手な

空間が広がっていた。

その二次会がどう始まって、どう終わったか覚えてないけど

ドレスを着てテーブルの上で弾けながらパラパラみたいな踊りを踊っている

事務員さんをみて、少々イライラしたのを覚えている。

 

その時期は、母が末期がんで闘病中。結果的にその一か月後に亡くなる事になるので、気持ちがどん底。結婚式の二次会なんかに行く気分ではなかったのだ。

しかも、目の前に広がるのは自分が忌み嫌う文化圏の人間が弾けながら踊っている空間。

事務員さんは仕事はまじめにやってくれるし、きらいではないんだけど

その時の気分がそうさせたのか、本当に憂鬱な思い出として刻まれてしまっている。

 

そもそも、結婚式の二次会だけ呼ばれるってその人にとってどんな存在なのか?

 

自分の結婚式の時は、そもそも二次会なんかやらなかった。

それは、その人に対して優先順位の2番手グループですって

言っているようで失礼に当たるんじゃないかって思いがあったから。

 

過去、3回ほど二次会だけ出席ってのがあったけどどれも何とも言えないアウェー感、乗り遅れた感、めんどくさい感だけははっきり覚えているのでその経験もあったんだと思う。

 

この歳になると、友人の結婚式に参列する事はほぼないと思うけど。

もし、二次会だけ出席してくれって言われたら、はっきりと断ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

娘と歩く帰り道

毎日のひそかな楽しみがある。

それは、娘のお迎え。

 

現在小学1年生。

児童クラブへのお迎えは、ほぼ自分の役目だ。

小学校へは車で5分、歩いて15分。

雨などの事情がない限り、歩いて向かう。

娘は少し不満そうな時もあるけど、娘と歩くこの15分が

たまらなく好きなのだ。

 

「今日の給食何だった?」

「今日は誰と遊んだの?」

「今日は何を習ったの?」

 

それこそ、本当に他愛もない会話をするだけだけど、この時間が大好きだ。

 

こども園の頃に比べると、話す言葉も大人っぽくなったり

返事するのを面倒くさそうにする事も増えたけど

これも成長を感じる機会だったりする。

 

娘には、些細な事にも気付き、そしてそれを楽しめるような人間になって欲しい。

何の変哲もない帰り道でも、季節の移ろいは感じる事ができる。

季節ごとに違う花は咲くし、虫も違うし、日の長さだって違う。

その事を意識して会話に取り入れてるけど、娘はどんな風に感じれくれてるのかな。

 

今は笑顔で手をつなぎに来てくれる。その手も、どんどん大きくなっていくのが分かる。何か切ない気持ちになるのは何だろうか。

でも、そのうちにそんな事もしてくれなくなる日が必ずやってくる。

 

本当に寂しいけど、その日ができるだけ遠くなるようによき父親であり続けようと思う。