冴えない45歳おっさんの頭の中

思考のリハビリみたいなもんです。今思う事をいろいろ吐き出します。

認める、ということ

人から認められたい。

 

誰もが抱く願望だとおもう。

承認欲求とも言うのだろうか。

 

生きていく上で、いや幸福に過ごすうえで

人から認められるというのは極めて重要な事

 

友人関係であれば、比較的簡単に人を認める事は出来る。

その人のいい部分だけど評価すればいいだけの事。

まあ、そもそも認め合っているからこそ友人関係が成立するわけで。

人の卑下したり、否定してくるようなのはすぐに縁を切っておしまいだ。

 

そして、難しいのは仕事の上司・部下。そして、親子関係。

 

仕事上でその人を認めるには、認める側の人間に

一定の責任が伴ってくる。

部下側の努力というモノは当然必要ではあるが、その努力を

引き出すのに認めるという行為は、非常に大切になってくる。

 

部下側の努力によって、何か一つできる事が増えた。

上司側からしたら、些細な事かもしれないけど部下側からしたら

その事を認めてもらう事によって、どれだけモチベーションが

あがるか。

本当に、一言でいい。

 

「いいねぇ、その調子だよ」

 

それでいい。

 

でも、この世の中、厳しく接してこそ伸びるって価値観の方がまだまだ強い。

 

で、その厳しくという言葉をはき違えてる人間が多すぎる。

自分の感情をコントロールできずに、部下を怒鳴る事、なじる事を是とする為に

取ってつけたように厳しくって言葉を使う。

そもそも、この手の人間はわかりやすく論理的に物事を教える事が出来ない。

だから、そんな風に接するしか出来ない自分の能力のなさを取り繕う。

 

そして、だいたい自分がこうだったから、とか

そんなの常識だ、とか完全自分本位かつ中身のない理由を押しなべて

屈服させようとしてくる。

 

この手の人間、上司になってしまったら適当にあしらうか、

会社を辞めてしまえば済む事だけど、父親がこれだったらどうか?

 

今の自分が、まさにこんな感じ。

 

仕事上接しているうえでは、最悪の上司であり同僚。

仕事のやる気や充実感を削いでくれるには、十分だ。

それでも、親子。

 

いつの日かわかって理解してくれる日が来ると頑張っていても、

それが当然だ、との思いしかないから、その努力やこちらの気持ちが

解らない。

 

「なんで理解してくれないんだろう?」

 

初めはそう思っていたけど、そうじゃなかった。

 

【そもそも理解できる思考力がない】

 

これだった。

 

こんな父親の為にすごく思い悩み、いろんな葛藤を

越えてきたけどそれが全て無駄だったのだ。

 

この父親に対して、どんな感情を抱いているのか

自分でもわからない。

この父親が、この先介護が必要になったようなとき

まともに世話できるだろうか?

 

正直、自信がない。

 

こんな事で自分の思考を取られたくない。

でも、やっぱり考えては苛立ち、怒りが込み上げてくる。

 

そんな事より、俺の未来を自分で切り開く為

こんな父親はひとまず置いといて、自分の思う道へ進もう。