47歳男の心の路地裏

47歳の男が、頭の中をそのまま吐き出す。日常のふとした考えから人生の抱える重いテーマまで。目下の悩みは、年金未払いのバカ親父の事

自由は、自分で決めるということ

個人事業主をやってる理由は何だろう?

 

俺は間違いなく、自由の為。

自由っていうのは、自分に決定権があるって事。

 

その結果が、土日に働く事になろうが

子供の行事に参加できなくなろうが、それは苦痛ではない。

それは、自分が決めた事だから。

 

収入は安定してるし、一応上場企業だったので

社会的信用もあったんだろうけど、会社員時代はなんか自分の人生を

生きていない感覚があった。

 

特に好きではない商材を売る。

しかも、周囲の人間と競う事を強要される。

その過程で、時間も管理される。

これが何よりの苦痛だった。

 

自営をやる大きな理由に、会社員よりも稼げるから、

見たいのがあると思うけど。

何も、それだけを理由にしなくたっていいじゃないか。

 

俺は、好きな時に休める。

嫌な奴と付き合う必要がない。

この2つの要因がかなり大きい。

 

仕事がなくて、収入が低い月は自己肯定感も下がる。

でも、そのストレスはずっと働き詰めだったり

クソな上司と付き合うストレスよりは受容できる。

 

今の仕事が好きかと言われれば、好きではない。

でも、働き方はどうかと言われれば、俺に合っている。

 

幸せな人生には、仕事の充実は欠かせない。

その為に、今の働き方を維持しつつ充実した仕事への

拡大をしていかなければ。

 

なんも、今の仕事を辞めるつもりはない。

依頼してお金をくれる人が居るんだから。

 

でも、それとは別の自分がもっと前向きに取り組める

仕事を見つけて、それに向かって頑張るのが

人生後半戦に向けての大きな礎な気がするな。

 

 

味方を求めて敵を増やす

電話魔が嫌いだ。

 

某起業家みたいに、電話を毛嫌いする訳ではない。

的確な要件を手短に伝えてくれれば何の文句もない。

こちらの時間を奪ってるとか、そんな事も思わない。

 

でも、電話してきて長々と他人の悪口をきかされるのは

心底不愉快だ。

 

しかも、そいつは40半ばの男。

俺との共通の知人とのトラブルがあったらしく

その知人の悪口を俺に言ってくるわけだ。

 

しかもこいつが手に負えないのは、それを俺だけではなく

方々に電話しまくってる事。

 

一方的に文句を聞かされて、味方になってくれる奴なんかいると思うか?

 

このタイプは、本質を突いた指摘をしてあげたら激昂して話にならない。

だから、適当に肯定をしつつ話を聞き流す事になる。

 

でも、それに気づかずにその言葉を鵜吞みにして自分の味方になったと

勘違いする。そして、また電話をかけてくる。

 

そして結局、誰からも指摘を受けることなく

電話をしても無視されるようになり、関係が終わる。この繰り返し。

 

そもそも共通の敵を作って、味方を増やすのは組織に入ってこそ

意味がある。

個人事業主のつながりでそれをやると、ただの面倒くさい奴で終わる。

そして、縁が切れる。

 

この手の連中は、自己肯定感が低いのかな。

分かり易い共感を求めたがる。はっきりとした言葉と態度が

欲しいんだろね。

 

でもね、世の中、そんなに単純じゃない。

 

個人事業主なんて、ドライな見方をすればメリットがあるか、ないか。

それだけの関係だよ。

 

こんな面倒な奴と付き合って、どんなメリットがあるか?

一応のメリットがあれば取り繕って付き合うし。

それ以上のデメリットがあると思ったら、それっきり。

 

文句を言いふらしたら、それを聞かされた方は

その矛先がいつこちらに向いてもおかしくないなって、思うだろ?

それを想像できないか?

 

とは言いつつ、こいつからの紹介で仕事が一つ決まった。

なかなか難しいけど、こいつとも付き合わなくてはいけない。

 

このさじ加減も個人事業主の大変さだけど、

究極、縁が切れたってかまわないって思えるのが個人事業主

特権でもあるよね。

 

明日も、がんばろ。

 

 

 

 

 

 

AIとの共存:無責任からの脱却

無責任な奴が嫌いだ。

 

建築系の仕事をしていると、よくそんな気分になる。

 

気の利かない足場。

手間受けていってるのに、適切な材料が揃ってない。

なんでもいいですよ、とかいう元請け。

何も理解できてない監督。

 

結局、全て無責任からくる雑な仕事の結果。

 

あとは誰かがやる。

だから、俺はここまでしかやらない。

 

これはどんな業界でもいると思うけど、

無責任でエラそうな奴ほどムカつく。

こんな人間こそ、AIに取って替わられるべき人間だよ。

かと言って、そんな人間が仕事を奪われた上に、巷に

溢れかえる世の中も想像したくないな

 

AIが今後どんな展開をしていくか予測もできないけど、

人と人とのやり取りというのは今後の価値となっていくと思う。

 

現場仕事は好きじゃないけど、自分で手を動かせる人間が

少なくとも仕事はあるよね。

AIを少しいじってるけど、使ってみて実感するのは

メーカーのサラリーマン時代にやっていた事務仕事はほぼAIに

代替できるし、中途半端なコンサルタントやカウンセラーは絶滅するだろうな

って事。

要は、責任が曖昧は分野で仕事する人間は必要ないって事。

 

コンサルタントって、結局はクライアントが行動を起こすかどうか。

クライアントをその気にできずに、成果が出なくても責任は負わなくてもいい。

なんとも変な仕事だなって思う。

何でこんなこと言えるかというと、自分もコンサルの端くれみたいな事を

してたことがあるから。

同僚は無責任な奴が多かったな。60超えてるのに、ワクワクとかニコニコとか

へんな擬音語つかってプレゼンするおっさんとか笑えたな。

 

そんなコンサルタントは、各自がAIと壁打ちをすれば

人間よりもよっぽど適切な助言をくれる。

心理カウンセラーも、悩みのうちに壁打ちをすれば心が軽くなる。

 

今後、暇人が溢れかえる世の中で、どんなふうに生きていくのが幸せなんだろう。

 

自身への問いは絶えないね。

人生、思い描いたのとは違うけど。火は消えてない

俺は47歳。
れっきとした中年男性。


月並みな表現だけど、若い頃は40代ってもっと大人だと思ってた。
落ち着いていて、説得力のある言葉を吐いてるイメージだった。


ところがいざ47歳になった俺はというと、感覚は20代の頃と全く変わっていない。

朝からスマホをいじって「ガソリン高ぇな…」とかブツブツ言ってる。
人生って、わりとイメージと違う。

 

ネットには「ポジティブでいこう」とか「挑戦を恐れるな」とか、
キラキラした言葉が溢れてる。

そんなのは、わかっとるんじゃ。できれば苦労ねーんだよ。

出てくるのは悪態ばかりだ。

このブログは、そんな“47歳男の心の路地裏”を、
見栄も整合性も気にせずに書く場所。


誰かに読まれたら恥ずかしいけど、
誰にも読まれなかったらそれはそれで寂しい。

俺は仕事もしてるし、父親でもある。
表向きはちゃんと社会に混ざってるつもりだけど、
心の中ではいつも「なんか違うな」という感情と闘っている。

 

この歳になっても、「自分を変えよう」とか「第二の人生を」って

希望は捨てきれてないんだな。

それゆえに、面倒でしんどい。

 

心の中には未消化の感情が渦巻いている。
それでも一応、生きてる。


それでもいいのか?と思う事もあるけど

やっぱり俺は希望は捨てきれない。

 

毒にも薬にもならないけど、「わかるわ〜」って鼻で笑ってくれる人が一人でもいたら、それでいい。

 

 

幸せの時間

ふと、自分の人生の優先順位を考えてみた。

 

1位は家族。親ではない家族。つまり、妻と娘。

2位は友人。自分が何屋になっても、ずっといられる友人たち。

3位は、親と兄弟。そして姪や甥、従妹、叔母あたりの家族。自分の場合、仕事と父親が直結してしまってる故に面倒な事も多いけど、とりあえずここ。

そして、4位が仕事かな。

 

死ぬときに後悔する事、みたいな本も好きでよく読むけど。

だいたい、もっと家族との時間を大切にすべきだったとか、自分に素直になるべきだったとかそんな思いを抱きながら亡くなる人が多いらしい。

 

仕事が好きでたまらないとか、充実感にあふれていたら今の感情がどうなるかはわからないけど、やっぱり仕事を最優先にすると、死ぬときに後悔するのは確かだろう、と思う。とはいえ、仕事の充実度が人生の充実度に直結するのも間違いないわけでえ、そのバランスをどう捉えて、どう行動するかはその人の価値観によるんだろうね。

 

自分の場合、家族が最優先なので、今日も午後の仕事を切り上げて帰宅。急遽、学級閉鎖となり下校する事になった娘を待っていた。仕事に充実感も収入も多くないけど時間は他の人よりも充実してる。娘と一緒にいる時間も、他の友人たちよりも圧倒的に多いと思う。それはそれでえ、この時期にこの仕事に就いていた意義がある。

 

あっという間に7歳になり、あっというまに大人になってしまうであろう娘との時間。

 

かけがえのない時間を、味わいつくそうと思う。

一生懸命、知育菓子を作ってる娘を眺めながら幸せを感じれるこの時間、大好きだ。

 

 

選択の結果は

18歳に戻れたら?

ふと思った。

 

もっと細かくすると、大学の入学式に戻れたら?

行った大学は決して有名でもなければ、偏差値も特別高いわけでは

ないけれど、総じて楽しい思い出しか残っていないのでそれ以前に

戻りたいとは思わないかな。

 

で、18歳の自分に言っておきたいのはこの1点につきる

 

【もっと自分の世界が広がるような行動をしろ】

 

時間が有り余っていた学生時代。

振り返れば、経験値を上げる行動を悉くしてこなかった。

バイトしかり、恋愛しかり、旅行しかり。

 

先天的なのか後天的なのかわからないけど

目の前の事だけに気を取られて、俯瞰する視点が絶望的に欠けていた。

 

バイトは楽なもの。授業も単位が取れそうなもの。恋愛も奥手で本当に

好きな子にはアタックできていなかったな。

有り余る時間をただ漠然と過ごしてしまった事に、本当に後悔している。

 

あの時、こうしていればどうなっていたかな?

もっと違う思考で物事を捉えられたら、違う世界が広がっていたかもしれない。

たられば言っても仕方ないけど、ふと思う事がある。

 

現状は、自分の選択の結果だ。

ターニングポイントは無数にある。

こうしておけば、こうはなってない。でも反面

この選択をして正解だった。

そう思うようなこともたくさんある。

でも、もっと夢中になれるものってなにかな?と探す意識を

もっと高く持っていれば違う仕事に就き、充実感を持って働いていたかもしれない。

 

でも、先日こんなニュースを見た時に思った。

 

世界一のバリスタを夢見ていたが事故に遭って亡くなった息子の遺志を継いで、夫婦でカフェを開いたと。

このご両親、大きな悲しみの背負いながらも息子の事を思って前向きに

行動する姿勢には感服するしかない。本当に尊敬する。

反面、この亡くなってしまった息子さん。

やりたい事が見つかり、夢に向かって一生懸命頑張っている最中、事故に遭って

30そこそこで亡くなってしまう。これは悲劇でしかない。

その事故に遭った場所は、バリスタになる為に働いていた珈琲会社の倉庫だとの事。

 

もし、夢が見つからず何か悶々としながらも違う場所で働いていたら、彼はきっと事故に遭わずに生きている。夢が見つかった結果、このような悲劇を招いてしまったと見る事もできてしまうのだ。

 

結局、人生に正解なんてない。

 

今の自分はどうだろうか?

仕事についてはまったく充実感を得られていないけど

愛する妻と最愛の娘に恵まれた。この2人なしの人生は考えられない。

そう考えると、自分の人生の選択は間違っていないのかな、とさえ思う。

 

ひどく回り道をしたように感じるけど、これが最善と思って生きていくのが

幸せかな。

 

 

転機の訪れ

仕事で悩んでいる。

 

今の自分もそうだけど、まともに働いていたら

誰でも大なり小なり同じだと思う。

 

会社員時代と自営業の今とでは、仕事の悩みも階層が違ってくる。

前者の頃は、社内の人間関係の悩みが5割。社外な嫌な取引先の悩みが2割。

そして将来への不安が3割って感じだった。

 

そして自営となった今では、取引先との関係の悩みはほぼなく

一緒に働く父親への悩みが3割。あとは将来への不安が占めている。

 

家業という特性上、仕事と家族が近い位置にいる事もあり

これが事態を複雑化してるとも、楽観視できるとも言える。

一緒に仕事をしていなければ、どれだけ気楽だったかと思う事が

ある反面、いらん社内政治に巻き込まれずに済んでいたという部分もあって

一概に答えを出すのは難しい。

 

でも、今の時点でハッキリ言えるのは現業の行き詰まりは必至である事。

何より、自分自身に現業に対する熱量が大きくかけている。

消えている火を再び灯す努力をするのか、はたまた全く違う火を灯すのか。

 

自分が下した決断は、違う火を灯す事だ。

もともと家業に必要な気質は持ち合わせているとは思えない。

でも、それを補ったのは自分の特性である器用貧乏の側面で

なんとかなってしまったから。

自分がもっと不器用で、どうにもならなかったらもっと早く違う決断が

できたのに、って思う事もある。

 

でも、自分が運がいいと心の底から思っているのでこれは転機であると

信じて疑わない。

いまいち行動に移せなかったけど、本当に少しづつだけど前に進めるようになって

来た実感がある。

厳しい時期だけど、ものすごい幸福を感じられる出来事もあった。

 

ドラマは波があるから面白いのであって、今はちょうど波の底の部分にいるのかな。

悲観してる奴より、何とかなるさと前向きに行動する奴の上に運は味方してくれる

はず。

 

なので、毎日上機嫌で目の前の事は真剣に。

そして、乗り越えた先に希望が見える試練であれば喜んで受け入れる。

45にもなって、ようやく気付いた。

 

さあ、宿題もらったぞ。楽しみだな。